Gyun*Gyun

録音やアレンジに使用しているSONARの事や日常の悩みなど

○○歳になりました。

未だに定職についていません。

 僕は3年前に勤めていた会社を辞めました。
その時は既に今の高校へ通い始めてましたが、やりたくて始めた高校の勉強が仕事の影響で全く手に付かなくなった事に加え、やっと諦めかけていた音楽の夢に対し音楽界では「ボーカロイド」というソフトを利用しアマチュアの間で音楽界が再び盛り上がりを見せていたのを横目で見て「自分はなんの為に生きているんだろう」と本気で考えるようになりました。

 仕事をさぼって半日近く京都の鴨川を眺めていた日もありました。人間は辛いときに川や海などの水を見つめると落ち着くと聞いたことがあります。自殺する気はありませんでしたが「僕が死んだら誰か困るのだろうか。悲しんでくれる人はいても誰も困らないだろう。」と思いました。
世間からの需要の無さに とても自分が「活きている」とは思えませんでした。

 精神的に仕事へ行く気力が無くなり、ある日仕事をさぼりやっぱり鴨川を眺めていました。
僕の作った曲の歌詞にもあるのですが、「自分の夢から逃げても逃げても追われている」ような気持ちで川を眺めていました。小さく声を押し殺して泣いてしまいました。そして会社へ退職する意向を電話で伝えました。

 それから自分なりに自分の表現方法として音楽と関わっている内に、自分の作る曲は恐らく技術を磨いても世間から需要は無いだろうとわかりました。また同じ頃に「需要」と「やりたい事」を頭の中で分別する事も出来るようになりました。

 その過程で僕はギタリストとしてはオリジナル曲を作るよりも需要がある事がわかりました。それは決して自分が望んでいた事ではありませんでしたので辛い時期もありましたが、今は幸せに思えます。

 「需要」に答えるにはギターを弾くにしても「やりたくないこと」「出来ないから練習しなくてはいけない事」「知らないから知識を得ないといけない事」がある事がわかりました。またその過程で身につけた技術は「自分のやりたい事」にも応用が利くことがわかりました。

 今は「やりたい事」「必要とされていること」の分別をしっかりつけて目標を立てて、そこに向かって努力している時に「活きる道を見つけることが出来た。」と感じています。



 偉そうに悟ったような書き方にも読んで感じられますが決してそんな事は無いです。いつも自分なりに謙虚になろうと努力し、その結果僕に活きるヒントを直接教えてくれた人がいたり、自身で色んな本を読んで参考にしながら得た事も多いですし、これからもそうやって色々身に付けていくのだと思います。

 僕は性格的に自分の成果がどこで喜ばれているのかわからないような事は続かないのかも知れません。(例えば今やっているバイトの大きな工場での作業とか。)きっとそこは「自分をかまって欲しい」という性格からなんだと思いますが。。 また、家庭の為とかに生きる事も多分出来ません。僕の持論ではそれは自分が信じて一緒になった人に対して失礼にあたるのです。僕が愛した人を幸せにしたいのは僕の勝手なのであって、決して家族の「ため」に家庭の為に働いては愛を育めるとは思えませんし、もしストレスが溜まれば甘えの限度を超えて家族に毒は流れていくことでしょう。あくまで家庭を守るのは自分のやりたい事じゃないといけないと考えています。もちろんそこに命をかける程度の責任もあると考えます。

 今のところ僕は人生のパートナーが運良く見つかったとしても、気持ち的にもちゃんとお互いに愛を育めるような事は出来ないと思っています。きっと悲しませてしまうと思うので作りません。時間、金銭面、他にも親のこととか色々な理由から。


 今、読み返しましたが、ちょっとはまともな事を考えられるような理想の自分に近づいてる感じがして安心しました。僕の尊敬する人はきっと僕のなりたい自分なんです。って誰かも言ってました(忘れた)