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Gyun*Gyun

録音やアレンジに使用しているSONARの事や日常の悩みなど

コンプレックスで遠回りしそうになった話/発達障害

発達障害

僕と漢字(読み飛ばしても大丈夫)

 僕は漢字を読むのが苦手で、それ以上に書く事が苦手です。
書くことが苦手というと「脳と手の連携」も含まれるのですが、そうでは無く「見れば書けるけど思い出せない」です。書けないけど読むことが出来るパターンは多いので、記憶にあるけど思い出せないみたいです。
なのでパソコンで変換する時のように「正しい漢字はこの中のどれ?」と並べられると「これ」と選ぶ事は出来ます。

 これだけだと「普通だよ」と言われるので詳しく書くと小学1年生の時に初めて漢字に触れて楽しかったのですが2年生から急に覚えられなくなりました。
今だからわかるのですが「2つ以上の部首の組み合わせ」がネックでした。
「読み」のテストはマシでしたが高校まで国語のテストの漢字はほぼ空白。

ただし少しずつですが書ける漢字は増えてます。

漢検取得を目指してついでに覚えよう

 数年前から小説を読んでますが、漢字を調べながら読んでるうちに「漢字を読めない事」へのコンプレックスが強くなりました。小説の楽しさを知るほどに。

その流れで漢検取得に挑戦して覚えられない事を克服しよう!と思ったことがありました。(その頃まだ自分が発達障害であると知らなかった。)
その時に漢検の5級と同等の問題をやったのですが、わからずに落ち込んだのを覚えています。その時既に社会に出て色々な書類を作っていたので(そのつど漢字を調べながら)「小学校レベルの漢字ならわかるだろう」と高をくくっていたのです。
結局は「漢検取得を目指して漢字を覚える」という目的は諦めたのですが今はそれで良かったと思います。

目的はなんだ

  元の目的は「小説を読む事」なので、漢検を取らなくても小説は読めるし、苦手な事に時間をわざわざかけなくて良かったなと。まさに本末転倒しかけ。

苦手な事を「知り」「克服」しようとする気持ちは大事だと思いますが「克服」は必ずしも必要では無いと思います。

漢字がわからない上で小説を読む時のネックは「調べる面倒さ」でした。
そっちの対策をする方が小説を読みたい自分にとっては幸せだ気付きました。

  今はスマホ等で手元で簡単に漢字を調べられるし(生まれた時代的にラッキーだった。)他の対策としてアプリに「知らない漢字、覚えられない登場人物の名前」などをメモしてます。ついでに作詞に使えそうなアイデアも。

 人物の名前や場所などは何度も出てくるのでメモ書きがあるとかなり助かります。 

感情に流されすぎない

僕の精神病院の担当の医師、発達障害の専門書、それからホリエモンは同じ事を言っています。

「苦手な事は誰かにやってもらえばいい。違う方法でやれるならそうした方が良いと。」
今まで、苦手だという気持ちから生まれたコンプレックスを消そうとするあまり、目的を忘れて遠回りしてる事が漢検の時のようにたくさんあったように思います。

そして、話が少しそれるけれど他人と関わる場合の話。
自分の不得意な事が原因で誰かに迷惑をかけないように生きたいけど、必ずしもそれイコール苦手分野の克服では無いと思う。

この場合は他人の為に生きたいのか、自分の為に生きたいのかという話にもなる。
そして他人が関わると尚更コンプレックスは強くなる指向があるので、そういう時こそ感情に流され本末転倒にならないように気をつけたい。 

まとめ

本来の目的を達成する上でそれは本当に必要な行動なのか?
一時的な劣等感に振り回されて感情的な長期行動を選択しようとしていないか?

(一見ポジティブな発想だとわかりにくい。)

最近は、そういう事を考えるようになりました。

おまけ

今、僕は複数人で創作活動をしています。
発達障害で無くても、当然、相手にも苦手な事はあります。
それは認めているし助けたい。

そして、自分自身が打ち明けた苦手な事を仲間は認めてくれている。又は認めようとしてくれていると信じています。

そう考える事で気持ちが楽になれたし昔よりも人付き合いが上手くなった気がします。実際に作業が効率よく進む事がたくさんあるし。

 その点は”今も続けられているという事実”が大事なので、とても感謝しています。

 

読書の時の実際のメモ

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